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東京地方裁判所 昭和29年(ワ)6673号 判決

原告 後藤昌次郎

被告 石田昇 外二名

主文

原告の請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「原告に対し、被告石田昇は金六万円を、被告細野進は金三万円を、被告内田博郎は金二万円を、それぞれ昭和二十九年七月十五日以降完済まで右各金員に対する年五分の割合による金員を合わせ支払え。訴訟費用は被告等の負担とする。」との判決を求め、その請求原因として次のように述べた。

一、昭和二十九年六月当時、原告は東京弁護士会所属の弁護士であり、被告石田昇は東京都警視庁管下丸之内警察署長の、同細野進は同署公安主任の各職にある警察職員、同内田博郎は東京都地方検察庁特別捜査部勤務の同地方検察官事務取扱副検事であるところ、原告は同年六月十五日、「アカハタ」販売業に従事する訴外日高正夫より、同訴外人の仲間の一人がその前日の夕刻頃、東京駅八重洲口南側で「アカハタ」立売中、公務執行妨害罪等の容疑で鉄道公安官に逮捕され、丸之内警察署に留置されているから右被疑者の弁護人になつてもらいたい旨の依頼を受けた。

二、そこで原告は右被疑者に面接して直接同人から弁護人選任の依頼を受けるため、前記日高と共に、同日午後三時頃、丸之内警察署を訪れ、来意をつげたところ、カウンターに現われた被告細野は、「本件は公安事件であり、黙秘権を行使しているから弁護人と接見させるわけにゆかない。このことは法律に規定してある。」と言つて被疑者との接見の申出を拒否したので、原告がその法律上の根拠を問いただしたところ、同被告は前同様の返事を繰返して「弁護士なら知つているでせう。」と云うので、原告は念のため鞄から小六法全書を取り出して刑事訴訟法の部分を開き、「どこにそう云う規定があるか示してほしい。」と云うと、同被告は言に窮して、多数の警察職員その他の人達のいる前で、大声で原告に対し「弁護士なら知つている筈だ。そんなことを聞くと胸のバツチが泣くぞ、帰れ帰れ。」と言つて原告の名誉を毀損した。

三、右のような被告細野が法的根拠を示すことなく接見拒否の態度を固持し、一方的に話し合いを打切ろうとした時、偶然、カウンター正面の扉を開けて被告石田昇が現われたのであるが、原告はその服装、年令等から推して上級の警察官であると思つたので、同被告に対し、被疑者との接見の件につき話し合いたい旨申入れたところ、同被告はその自室に原告を招じ入れた。その時、原告と同行した日高正夫は、原告と共に入室しようとしたが、他の警官に拒まれたので、入室はしなかつた。そこで原告は同室内で、被告石田と対坐して用談を始めたが、その間、同被告の傍には年令二十五、六才の警官が坐つて傍聴していた。而して原告は同被告に対し、被疑者の知人に依頼されて丸之内署を訪ね、被疑者との面接の申出をしたのに被告細野によつて拒否されたから、更めて被疑者に会わせてもらいたい旨申入れたところ、被告石田は右被疑者に関する事件の内容を問うので、原告は、「アカハタ」の駅売中、道路交通取締法違反か鉄道営業法違反かに問われて逮捕されたように思う旨答えた。同被告は、初め比較的穏やかな態度であつたが、「アカハタ」云々の言葉を耳にするや忽ち顔面紅潮し、原告の答え終るのを待たず、「君は弁護人でないから会わせるわけにゆかん。殊にこの事件は公安事件で黙秘権を行使しているから、だめなことは分りきつた話だ。」と云うので、原告は、それは拘束されている被疑者の黙秘権を無視し弁護人選任権を奪うもので不当である旨、並びに刑事訴訟法第三十九条第一項に関する原告の見解、即ち、同条項にいう「弁護人を選任することができる者の依頼により弁護人とならうとする者」とは、弁護人選任権者の依頼が既に存して、その依頼によつて弁護人とならうとする者に限られるものではなく、選任権者の依頼は未だないが、その依頼を受けることが予想される場合に、その依頼を受けて弁護人にならうとする者をも含むものと解すべきことを説明したところ、同被告は、「弁護人だらうが、弁護人とならうとする者だらうが、検事の接見禁止命令が出ているから、何と云わうが会わせるわけにいかん。」と云うので、原告が「検事には訴訟法上、接見禁止命令を出す権限はないし、それに未だ送検にもなつていないではないか、仮りにそういうものが出たところで、法律上の根拠のない命令に従う程、見識がないのか。」と反問したところ、同被告は「青二才のくせに生意気云うな。今は丁度暇だから退屈しのぎに聞いてやるから、屁理屈を云うなら勝手に云つたらいゝ。」と放言して原告を侮辱した。

四、かくて原告は、被告細野、同石田等によつて、前記被疑者との接見の申出を拒否され、該被疑者をその不当な拘束から救うべき原則的方法が全く奪われてしまつたため、前記日高から、原告と同様弁護の依頼を受けた東京弁護士会所属の弁護士訴外柴田睦夫は、翌十六日午後三時頃、前示被疑者が東京地方検察庁に護送された機会に、同庁同行部屋附近において警視庁刑事部総務課所属の訴外小渕辰五郎を通じ、右被疑者から、弁護士である訴外岡林辰雄、柴田睦夫、及び原告の三名を弁護人に選任する旨の弁護届(但し被疑者の署名はないが、「丸之内署留置番号第八百二十六番」と記載し、且つ拇印を押し、なお、この拇印が、右第八百二十六番の拇印なる旨を、前記小渕辰五郎が認証してあるもの。)を入手するという例外的手段に出でることを余儀なくされたのである。而して原告は右弁護届を持参して担当検察官から、前示被疑者との接見に関する指定書の下附を受けるため、同月十七日、午前十時半頃、担当検察官たる被告内田博郎を、東京地方検察庁の居室に訪ね、同被告に対し、右弁護届と、原告の名刺を呈示した上で、その被疑者との接見に関する指定書の下附を申出でたところ、原告が弁護士記章を佩用し、又、名刺を通じていたのであるから、同被告としては、原告が弁護士の後藤昌次郎であることを充分認識して居つたにも拘らず、「この弁護届は本人のものかどうか分らない。あなたも弁護士の後藤昌次郎であるかどうか分らない。」と言うので、原告は、右弁護届の記載の内に、小渕辰五郎の認証している部分を示し、これが被疑者本人によつて作成せられたこと、及び、これを入手した事情を説明したが、同被告は、この小渕辰五郎なる者の存在が架空のものであるかの口吻を示して右弁護届の効力を否認し、接見の指定を拒否しようとしたが、結局、右小渕の存在が明らかとなるや、同被告は、同訴外人を直ちにその場に呼び寄せ、事情を聴取した上、同人に対し、「このような公安事件で弁護人の接見を許してはだめではないか。」と云つて叱りつけた。原告は、傍らにあつてその様子を見、接見を認めないことこそ、憲法と刑事訴訟法に反する旨発言したが、同被告は右小渕に対して不当な譴責を続けた後、原告に対し、「この弁護届が被疑者の作成したものであることは分つたが、その氏名を書いてないから無効である。だから接見指定書を出すわけにはいかない。」と云うので、原告が、「弁護届の効力については争があるかも知れないが、しかし、原告が被疑者本人から弁護の依頼を受けているということは、この弁護届と、先の、小渕氏の証言で明らかな筈である。従つて接見を認めないのは違法である。」旨主張したところ、同被告は、「さつきも云つたように、あなたが弁護士の後藤昌次郎であるかどうか分らないから接見させるわけにはいかない。」と不当な言を弄して原告を侮辱したのである。原告は、その非常識に呆れたが、念のために、直ちに原告の所属する東京弁護士会の身分証明書を得て被告内田に提出した。しかし同被告はこれを受理せず、又、接見指定書も交付しなかつたのである。

五、そこで原告は、翌十八日、再び被告内田に面会し、前記接見指定書の交付を要求したところ、こゝに至つてようやく同被告は、同日午後四時から十五分間、丸之内警察署において前示被疑者と面接すべきことを指定した接見指定書を交付した。それで、原告は、右指定の時刻に丸之内署を訪れたところ、被告細野から、「内田副検事が何か話したいことがあるから、面接する前に、地検まで戻つてほしい旨の伝言があつた。」由を告げられたので、原告は直ちに東京地方検察庁に戻り、被告内田に会つたところ、同被告が原告に話したいことは、「黙秘権を行使していると、弁護届を受理できないと被疑者に伝えてほしい。」ということだけであつた。これは不当の口実を構えて被疑者の黙秘権を侵害しようとするものであり、かゝる伝言を弁護人に依頼するに至つては弁護人を侮辱するも甚しい。そればかりでなく、原告が多忙な弁護士であり、且つ常に杖を携行し一見して脚の不自由であることが明白であるにも拘らず、何等、これらの点を顧慮することなく、原告をして、丸之内警察署と東京地方検察庁との間を往復させ、以て原告の時間と労力とを空費させたのである。

六、これを要するに、被告細野、同石田は、原告の前示被疑者に対する接見の申出を容認すべきであるのに、敢えてこれを拒否したのであつて、これは原告の弁護権に対する不当な侵害と云わなければならないが、右申出を拒否したこと自体の当否はともかく、その接見を申出でた原告を応待するに当り、前記のように、被告細野が「弁護士なら知つている筈だ。そんなことを聞くと胸のバツチが泣くぞ。帰れ、帰れ。」と云つたこと、被告石田が「青二才のくせに生意気云うな。今は丁度暇だから退届しのぎに聞いてやるから、屁理屈を云うなら勝手に云つたらいゝ。」と放言したこと、並びに、被告内田が「あなたが弁護士の後藤昌次郎であるかどうか分らない。」と述べ、又、原告を呼び戻して「黙秘権を行使していると弁護届を受理できないと被疑者に伝えてほしい。」と述べたことは、いづれも原告の名誉を著るしく侵害する不法行為であつて、原告はこれにより甚だしく屈辱を蒙り、精神的損害は甚大である。これを金銭に換算すれば、被告細野の所為につき金三万円、被告石田の所為につき金六万円、被告内田の所為につき、金二万円を、それぞれ下らない。されば、被告等は、慰藉料として、それぞれ右金員を支払うべき義務があるから、原告は本訴において、被告細野に対し金三万円の、同石田に対し金六万円の、同内田に対し金二万円の各金員と、それぞれ右金員に対する訴状送達の後である昭和二十九年七月十五日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める次第である。

以上のように陳述し、なお、被告等の主張事実に対し、国家賠償法第一条第一項の規定を被告等の主張するように解釈すべきものとする点、並びに、被告等の本件侮辱行為が、その職務の執行につきなされたものとする点はいづれも争うと述べた。〈立証省略〉

被告等訴訟代理人等は主文同旨の判決を求め、答弁として、原告の主張事実中、原告及び被告等三名の身分並びに職務が、原告主張の当時、その主張のとおりであつたこと、昭和二十九年六月十四日丸之内警察署に、同署留置番号第八百二十六号なる被疑者が公務執行妨害罪等の容疑で留置されていたこと、原告がその主張の日時頃丸之内署に来訪し、右被疑者との接見を申出で、被告細野、同石田とそれぞれ面談したが、同被告等は、その接見の申出を容れなかつたこと。原告がその主張の日時頃、その主張の弁護届を持参して東京地方検察庁に被告内田を訪ね来り、留置中の右被疑者との接見に関する指定書の下附を申出で、同被告と面談したこと、その際同被告は右接見指定書を交付しなかつたが、翌日、これを交付したことはいづれも認めるが、被告等がそれぞれ原告主張のような侮辱的言辞を弄したとする点は否認する。原告のその余の主張事実も争う。

被告細野は原告に応接した際、刑事訴訟法第三十九条及び警視庁犯罪捜査規範第百六条に基き、「接見は被疑者の指定によるか、弁護人選任権者の依頼がなければ面会できない。」旨答えたところ、原告は失庭に立上り、小六法全書を同被告に示し、大声で「馬鹿野郎、そんな規則はどこにある。出してみろ。」威猛高になり冷静を失うに至つたので、同被告は、これ以上応答するに由なく会見を打切つたものである。

被告石田は署長室で原告と面会し、被疑者との接見を求める原告に対し、被告細野が拒んだ場合と同様の理由でこれを拒んだところ、原告は小六法全書を開いて被告石田に示し、「刑事訴訟法第三十九条には接見できると明記してある。」と強弁するので、同被告は、「被疑者の依頼があるか、弁護人選任権者の依頼があるか、その事実を疎明してもらいたい。」旨を述べると、原告は、「被疑者の黙秘権行使は憲法で保証されている権利だ。弁護人の接見を拒否するのは憲法違反である。」旨高言するので、これ以上応答するに由なく、会見を打切つたものである。

被告内田は昭和二十九年六月十六日東京地方検察庁で、丸之内警察留置番号第八百二十六番なる被疑者に係る公務執行妨害、傷害被疑事件の配付を受けたので、即日、同被疑者を取調の上、東京地方裁判所裁判官に対し、右被疑者の勾留並びに刑事訴訟法第八十一条所定の接見交通禁止処分の請求をし、翌十七日、裁判官によつて、右の各処分がなされたのであるが、右被疑者は、その間、終始氏名を黙秘し、弁護人の選任については考慮しておく、ということであつた。而して原告は、同十七日午前十一時頃、被告内田に対し、被疑者丸之内署留置番号第八百二十六番名義の、原告外二名を弁護人に選任する旨の弁護届を提出し、その受理方を申出でたが同書面には被疑者の氏名の記載がなかつたので、被告内田は、原告に対し、同書面は無効のものであるから受理できない旨を答えた。すると原告は「接見に関する指定書」の発行を求めたが、被告内田は、「弁護人選任権者の依頼を受けて弁護人になろうとする者であることを疎明せられたく、又、原告とは初対面故、何人が何某弁護士かも分らない。当方でも被疑者が有効な弁護人選任届を提出する意思の有無を明十八日中に確めた上、接見指定書の発行について考慮し、連絡する。」旨を回答したところ、原告はこれを諒承して辞去したのである。これらの応答は、原告も被告内田も、着席の上、平静に行われたので非礼の点はないと以上のように述べ、なお、仮りに被告等の所為が不法行為となるとしても、国家賠償法第一条第一項の規定は、当該不法行為の被害者に対する直接の賠償責任者は、不法行為者たる公務員自身ではなく、専ら国又は公共団体であつて当該公務員は、その被害者に対して損害の賠償をした国又は公共団体から求償されることがあるにすぎないものとする趣旨であると解せられるから、被害者としての原告が、国又は公共団体の公権力の行使に当る被告等に対し、直接に、不法行為に基く慰藉料請求権を主張することは失当である、と述べた。〈立証省略〉

理由

昭和二十九年六月当時、原告が東京弁護士会所属の弁護士であり、被告石田が丸之内警察署長の、同細野が同署公安主任の各職にある警察職員、同内田が東京地方検察庁特別捜査部勤務の検察官副検事であつたこと、同月十四日、丸之内警察署に、被疑者である同署留置番号第八百二十六番が公務執行妨害等の容疑で留置されていたこと、原告が同月十五日午後三時頃、丸之内警察署に来訪し、被告細野及び同石田とそれぞれ面談し、右被疑者との接見の申出をしたが、容れられなかつたこと、原告が同月十七日午前中、東京地方検察庁に被告内田を訪ね、右被疑者との接見に関する指定書の下附を求めて、同被告と面談したことは、いづれも当事者間に争がない。証人日高正夫、同山本利仁の各証言と原告後藤昌次郎、被告細野進同石田昇及び同内田博郎の各尋問の結果(以上いづれもその一部)並びに、いづれも成立に争のない乙第一、第二号証に本件弁論の全趣旨を綜合すると、次のような事実が認められる。即ち、原告は昭和二十九年四月、弁護士を開業し東京合同法律事務所において法律事務に従事していたものであるが、同年六月十五日、右事務所に来訪した訴外日高正夫(同訴外人は当時日本共産党機関紙「アカハタ」等の販売に従事していた者である。)から、その「アカハタ」売りの仲間の一人である東山なる青年が、その前日(六月十四日)夕刻頃東京駅八重洲口で「アカハタ」販売中、鉄道公安官に不当に逮捕され、丸之内警察署に留置されている故、その弁護を依頼したい旨の申入を受けた。そこで原告は、その被疑者に会うため、右日高を伴つて同日午後三時頃、丸之内警察署を訪れ、同署一階カウンターの内側で公安主任の被告細野に会い、同所で双方、椅子に着席して話を始めた。原告は先づ自分が弁護士であることを明らかにし、前示被疑者との接見を求めたところ、被告細野は「その被疑者なら昨晩公安官から引継ぎを受けて取調中であるが、あれは公安事件で黙秘権を行使しているから会わせることはできない。」旨答えて被疑者との接見の申出を拒んだので、原告はその法律上の根拠を問いたゞしたところ、同被告は「弁護士なら知つているだろう。」と云い、原告は「そのようなことは知らない。公安事件だからと云つて差別するのは人権侵害である。警察も人権を擁護しなければだめではないか。」と云つたり或は又、原告が「弁護士が弁護人にならうとするのだから会わせなければならない。」と云うと、同被告は弁護士だからと云つて誰でも会わせるわけにはゆかない。」等と云うような相互の応酬となり、更に原告が所携の鞄から小六法全書を取出し、これを同被告の前に突き出して、被疑者に接見させぬ根拠がどこにあるか示すように要求すると、同被告は「それは弁護士なら知つている筈だ。」と答え、これと同様の問答が二、三回繰返されて押問答となり、その頃、原告も被告細野もこもごも椅子から立上り、両者とも幾分高くなつた声調(但し、室内に響きわたる程度ではなく、対話者間の音声としては幾分高いと思われる程度の声調である。)で、原告が「馬鹿野郎、出してみろ、そんなことが何処に書いてあるか。」と云うと、被告細野も「弁護士なら知つている筈だ。そんなことも知らないと胸のバツヂ(当時、原告は胸に弁護士記章を佩用していた。)が泣くぞ。」と云つたり、「あなたは人権を無視している。警察は人権を擁護しないのか。」と原告が云うのに対し、被告細野は「人権のことは人権擁護局へ行け、警察は法律の番人だ。」と答える等、互に言い合つたが、埒があかず終に被告細野の方で面談を切上げて同所を立去らうとすると、その後方から原告が「待て、待て。」と云つて呼び返えそうとしたが、同被告がこれに応じないで、そのまゝ二階に引揚げてしまつたので、両者はそのまゝ物別れとなつたこと。右両者の対談の時間は約十分乃至十五分間で、その間、両名の附近にいた者としては、原告と同行した前示日高だけであり(もつとも同人は、初め原告の直ぐ後方の柱の蔭に当るところにいたが、後には事務室の入口附近に行き、対談の場所から距つた位置にいた)、他には、これらの者と距つたところに、同室内で机に向つて執務中の警察職員や交通違反事件の被疑者四、五名がいたにすぎないこと。而して、かようにして原告と被告細野とが物別れとなつた頃、偶々そこへ被告石田が署長室から出て来たので、原告は同被告に面談を求め、署長室に招じ入れられて同室で椅子に着席して用談を始めた。原告は「昨日東京駅で逮捕された被疑者に会いたいのであるが、係官の被告細野はこれを拒んでいるから、右被疑者に会わせてほしい。」旨を申出ると、被告石田は「係の者が拒んでいるなら、接見させることはできない。」と云つてその申出を容れないので、原告は、「自分は弁護士である。被疑者の弁護人にならうとする者であるから会わせなければならない。」と述べると、被告石田は、その被疑者の氏名は何と云う者か原告が誰から依頼されて被疑者に面接に来たのであるか、その被疑事件の内容は何であるか、等の点について原告に尋ねると、原告はその事件の内容とは「アカハタ」販売人が東京駅で道路交通取締法違反か、鉄道営業法違反で逮捕されたらしい旨を答えたが、「被疑者の氏名は黙秘しているから不明である」とか「自分に弁護を依頼した者が誰であるかは答える必要はない。」等と云つてこれを明らかにしなかつた。そこで被告石田は、原告が被疑者の弁護人でないことや、公安事件としての特質等を挙示して、依然、被疑者との接見を拒むのに対し、原告は自分はいわゆる「弁護人たらんとする者」であるから、刑事訴訟法第三十九条に明らかなように接見させるべきである、等と弁駁し始めたが、その間原告は「あなたは憲法や刑事訴訟法を知つているか。」と問うと、被告石田は「あまりよく知らぬ。」と答え、原告が「それで署長がつとまるか。」と退ると同被告は「専門家という程には知らぬが、仕事をするのに差支えない程度には知つている。」と応じ、原告が小六法全書を出して、その条文第三十九条を開けて見るよう要求すると、同被告は「別に条文を見る必要はない。」と云う等の応酬があり、そのうち被告石田が、被疑者と会わせない理由を、更に原告から追求せられて、「この事件は検事の接見禁止命令が出ているから、会わせられない。」等と云うと、原告は「検事は接見禁止命令の請求をするだけで、接見禁止命令は判事が出すもので、検事の接見禁止命令は知らない。それにこの事件はまだ送検にもなつていないではないか。そのようなことで接見をさせないのはけしからん。あなたは独立捜査官ではないか。仮りに検事から接見禁止命令が出ているとしても権限のない者の命令に従わねばならぬというのは、不見識も甚だしいではないか。」等と云つて駁論すると、被告石田は「青二才のくせに生意気云うな。」とか、「今日は暇だから話を聞いてやるが、よくもいろいろ理窟を並べるものだ。」等と云つたので、原告が「私はいろいろ云うが、法律問題を述べたにすぎない。あなたのように青二才とか、個人的侮辱的なことは云わない。」と云うと、被告石田は「それは青二才の云うようなことを云うという趣旨である。」と釈明したりしたことがあつたが、結局接見させよ、接見させぬの同じ問答を繰返すことになるので、双方とも話をやめ、同室で互に挨拶を交わして別れたこと、この被告石田と原告との対談の時間は二十分間位で、その間、対談者の傍には同署警察職員訴外山本利仁が、着席傍聴していた以外、同室には何人もいなかつたこと。かくて、原告は被疑者との接見の目的を達し得なかつたので、原告は同被疑者から弁護人選任届を入手することゝし、同じく東京合同法律事務所の弁護士である訴外柴田睦夫等は、翌十六日夕刻、東京地方検察庁同行部屋附近において当時同所に連行されていた前示被疑者が折から丸之内警察署に護送帰署する直前、右同行部屋の係りの巡査訴外小渕辰五郎を通じ、右被疑者から、その弁護人として原告の外、弁護士岡林辰雄及び右柴田睦夫の三名を選任する旨の弁護届を入手した。そこで原告はこの弁護届を提示して担当検察官から、右被疑者との接見に関する指定書の下附を受けるため、翌十七日、右の弁護届を持参して東京地方検察庁へ行き、受附で担当検察官たる被告内田副検事に対する面会証に、原告の名前を書いて、同被告との面会を求めた。被告内田は同日午前十一時頃、その取調室で執務中、守衛から右面会証を受取つたので取調を中止し、取調中の者を室外に退席させて原告を招じ入れ、双方椅子に着席の上、原告は前記弁護届を同被告に示してこの被疑者との接見指定書を貰いに来た旨を告げた。この弁護届には被疑者の署名はないが、「丸之内警察署留置番号第八百二十六番」なる名義で作成せられ、且つ指印が押捺されこれに小渕辰五郎巡査の指印証明が附記されていた。ところで、被告内田はその前日(六月十六日)、丸之内署留置番号第八百二十六番なる被疑者に係る公務執行妨害、傷害等被疑事件の配付を受け、即日、同被疑者を取調の上、同被疑者の勾留並びに刑事訴訟法第八十一条所定の接見交通禁止処分の請求を、東京地方裁判所裁判官に対して為し、且つ刑事訴訟法第三十九条第三項に基いて、弁護人又は弁護人とならうとする者の被疑者との接見等に関する指定処分書(同書面は検察官が別に発する接見指定書によつて接見の日時等を指定するものとする趣旨のものである。)三通を作成し、被疑者並びに代用監獄の長たる警察署長にその各一通を発していたし、同被疑者は、被告内田の取調(勾留請求を為すに先立つ取調)を受けた際、同被告に対し、弁護人選任については必要ないように思うが考えておく旨を供述していた外、又若し警察署の方で被疑者に接見させた場合には、被告内田副検事に対するその旨の通知を受ける筈であるのに、そのような通知も受けていなかつたので、同被告としては、原告から呈示された前記弁護届が如何なる訳で出来上つたのか不審に思い、「面会を禁じてあるからかような届ができる筈はない」と云つて、この届の作成された事情を原告に尋ねたので、原告は前記のような作成の事情を話したが、これを信じ兼ねた同被告は、この届に被疑者の指印証明者として記載している小渕巡査の実在することを、その場で電話をかけて確め、同巡査を即時呼び寄せ、その説明によつて、この弁護届は同巡査が当時、被告内田の発した同被疑者に係る前記接見等に関する指定処分書を受取り保管していたのに、夕方被疑者等を護送して帰署する前で、多忙中のため、これを失念して、弁護士から頼まれるまゝに、前記第八百二十六番の被疑者にこの届を作成させて、出来上つたものであることが判明し、なお、同巡査は、その時の弁護士は年令の若い人ではあつたが、今こゝにいる人(原告)ではなかつた旨を述べた。そこで同被告は原告に対し、「なる程、この弁護届の作成された事情は分つたが、同書面には選任権者たる被疑者の署名がない故、有効な弁護人選任届ではないから受理できない。」旨を述べると、原告は「署名はないが留置番号及び小渕巡査の証明もあるから、被疑者の同一性は確定できる故、この届を是非受理してほしい。受付ないのは不当である」旨述べるので、同被告は判例があるとか、検察庁の方針としているとか、説明して応じなかつた。原告は更に「この書面は弁護人選任届としては無効かも知れぬが、被疑者が弁護人を選任しようとする意思を有する事実は、この書面ではつきりしている故、是非接見指定書を出すべきである。」旨述べるので、同被告は偶々原告とは初対面でもあつたところから、原告に対し「この届には弁護人の名が三名書いてあり、あなたと初対面で、どなたがどなたであるかも分らない。」旨答えると、原告は「それは余りひどい。それでは職務の遂行が出来ない。戦争中のように胸に名前をぶら下げる外ない。」等と云つたが、同被告は「ともかく被疑者の意思を確めてみるから、明日昼頃に来てもらいたい。」と云うので、原告もこれを諒承して対談を終つたこと。原告はその帰途、自分が弁護士の後藤昌次郎であることの身分証明書を呈示すれば、或は、被告内田から接見指定書を貰えるかも知れぬと思い直して、東京弁護士会事務室でその証明書を作成してもらい、同日午後一時頃、再度、被告内田を訪ね、右の身分証明書を呈示して、「是非、今日被疑者と会わせてほしい。」旨申入れたが、同被告から、「この事件は昨日地裁に勾留請求してあり、今日は被疑者の勾留尋問が行われ、書類も被疑者も、地裁に送つてあり、勾留状の発布も未定であるし、又、勾留状が出れば、早速被疑者を呼んで、弁護人選任依頼の意思を確めた上で、指定書を出すから明日にしてもらいたい。」旨告げられたので、原告も翌日を期待して退出したこと。被告内田は同十七日夕刻、前記被疑者に対する勾留状が発布されたことを知つたので、丸之内警察署係員に対し、翌十八日朝右被疑者を検察庁に連行するよう連絡しておいた。そして十八日午前中、同被告は連行された同被疑者に会つて、同人に対し、「後藤弁護士から弁護人選任届が提出されたが、被疑者の氏名の記載がない故、無効として受理しなかつたこと、取調中は黙秘権を行使できるが、選任届には署名が必要なこと、」を告げ、更めて、弁護人選任の意思の有無を尋ねると、同被疑者は「岡林及び後藤の両弁護士を選任したいこと、選任届に自分の氏名を書くか否かは今述べないが、有効な選任届を提出したい考えであること」を答えた。そこで被告内田は同日午前十一時頃、原告に接見時間を、その希望する同日午後四時から十五分と定めた接見指定書を作成して交付したこと。被告内田は、その後同日丸之内署に対し、後藤弁護士に伝え落したことがあるから、同弁護士が署に来たら、被疑者に接見前、再度、地方検察庁に来るよう連絡方を依頼したこと。そこで原告は同日午後四時前頃、丸之内署に行くと、被告細野から、被告内田の右伝言を告げられ、又、被疑者も未だ署に戻つていない、ということであつたので、再度、東京地方検察庁に引返し、被告内田を訪ねると、同被告は「被疑者は岡林、後藤両弁護士を選任したく、又、有効な選任届を提出したい旨供述していたが、黙秘権を行使して署名をしない弁護届は受理できないことを被疑者に伝えてほしい。」旨述べた。そこで原告は「唯これだけのために足の悪いことを知りながら、行つたり来たりさせるのはおかしいではないか。」と詰ると、同被告は「足の悪いことは知らなかつた。それならばお詑びする。」旨答え、なお、被疑者がまだ丸之内署に帰つていなかつたと云う原告の求めにより、接見時間を変更した接見指定書を交付したこと、原告はこの指定書によつて、同日午後六時頃、同被疑者と接見したこと、当時、原告は脚が不自由で杖を使用していたこと、以上の事実が認められ、前顕証拠中、上記の認定に牴触する部分は、にわかに信用し難いところである。

そこで按ずるに、被告細野及び同石田がそれぞれ原告と面談した際の発言の内容及び態度のうちには前認定のように例えば被告細野の発言として、「弁護士なら知つている筈だ。そんなこと知らないと胸のバツヂ(弁護士の佩用記章)が泣くぞ。」というような部分があり、また、被告石田の発言として「青二才のくせに生意気云うな。」「今日は暇だから話を聞いてやるが、よくもいろいろ理窟を並べるものだ。」というような部分があり、これらの部分だけを抽出してみると、まことに、弁護士たる原告の名誉感情を刺激しその名誉権を侵害するものといわなければならないが、これらの発言の行われた状況、即ち原告と右両被告のそれぞれとの対談を全体として観察すると、右両被告が原告の接見の申出を拒んだこと自体の当否はしばらく措き、この申出を各対談の初め、それぞれ既に一旦拒まれている原告が、両被告に対し、それぞれの拒否の理由乃至根拠をはげしく追及するに及んで遂にその度を超え、徒らに右被告等の感情を刺激するような侮辱的言葉遣いを用うるに至つたために右被告等の前示発言を見ることになつたものであることが前記認定の事実から看取せられるのである。されば原告は右被告等との応答において、相互にその度を超え、相手方を侮辱すべき言葉の応酬を招いたものであつて、かような場合には相互に相手方の侮辱行為を以て、違法性あるものと為すことはできないものと解するのが相当であるから、原告は被告細野及び同石田の前示所為を不法行為として、これによる慰藉料の支払を求めるに由ないものと云わなければならない。次に被告内田の所為について按ずるに、同被告が原告から、弁護士岡林辰雄、同後藤昌次郎及び同柴田睦夫の三名を弁護人として選任する旨の被疑者丸之内警察署留置番号第八百二十六番作成名義の弁護人選任届を提示せられ、該被疑者との接見等に関する指定書の発行交付方を求められた際、原告に対し、「どなたがどなたであるかも分らない。」と述べたことは前記認定のとおりであるが、この言葉は被告細野や同石田の場合の前示発言とは異り、その言葉自体を侮辱的言辞と云うことは出来ないし、又、当時原告と初対面であつた被告内田が原告から卒然として前記弁護届を眼前に提出され、それが同被告の予期外の書面であつたところから、その作成の事情に関する原告の説明を聞いたものゝ、それが通常の出来事とも思えず、更に小渕巡査の存否を確め、同巡査をその場に呼び寄せて事の真偽を調査するような処置にさえ出でた程であつて、なお同巡査は該弁護届の作成方依頼を受けた弁護士は原告ではなかつた旨を述べる等、これら当時の状況に鑑みると、被告内田は右弁護届に関する原告の供述内容について直ちに十分な確信を抱くに至らずひいて原告が弁護士後藤昌次郎であることを疑うかの如き言葉を述べたものと認められるから、被告内田のこの発言は当時の状況からみてもあながち責めるに値する所為とは云えず、従つてこれを以て弁護士たる原告に対する軽蔑の表示とは目し難く、違法な侮辱行為であると断ずるに至らないのである。又、被告内田が右所為の翌日再度原告を来訪させて、前記認定のような言葉を述べ、且つ、被疑者に対する伝言を托したことは検察官として余計な処置であると云う外ないが、さればと云つて、一般にかかる所為を以て弁護士を侮辱すべき所為であるとは為し難いのみならず、原告が前認定のとおり当時脚の不自由な身であつたことは、未だ右所為を違法な侮辱行為とすべき格別の事情とするには当らないし、又、当時同被告も前記のように原告からその脚の不自由なことを指摘されて自分の迂濶さを詑びた事情も認められるから、同被告のこの所為も亦原告に対する侮辱行為と云うに由ないものである。

されば、被告等の不法行為を原因としてその慰藉料の支払を求める原告の本訴請求は全部失当として棄却を免れないところであるから、民事訴訟法第八十九条に則り、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳川真佐夫 守田直 松井正道)

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